われらの前途は輝きながら嶮峻である
タイムスタンプ
WUGの活動の最初期、まだアニメ放送前のこと。ポスターとセットで売られていた冊子がある。その中にメンバーからの手書きメッセージが載っていた。
はじめまして。
WUG!菊間夏夜役の、奥野香耶です。
これを書いている今は、2013.07.14。
日付を書くのが面白いなと思った。ライブグッズに日付が書かれているように、この日が彼女にとってひとつの記念日になるんだろう。日付を記さなければ「あの年の夏の、えっと多分7月半ばくらいの~」というどこか精彩を欠くものになってしまう。
「2018年12月9日、今日のことは一生忘れません」と日付を添えて言う奥野さんを見てそんなことを思い出した。
Emotion-in-Text Markup Language
岩手公演の感想、書けないというのが正直なところ。ライブ中にも何をどう書けばこれが伝わるのだろうかと気が散ってしまった。反省している。言語化しようにもあの場所、あの時間にあった感情の記述方法をまだ人類は獲得していないのではないか。助けてくれ伊藤計劃。とにかく書いてはみるが。
共通パートについては割愛する。具体的な内容は他の方に譲る。
最短経路
奥野さんの表現は刺さる。特に言葉を紡ぐとき、端的に、的確に心に指してくる。どうしたら相手に届くのか、最短経路を本能的に掴む力がある。それは誰かを気遣う優しさという形で発露したり、最短過ぎて唐突にヤバい発言をぶっ込むことになったり、あるいは3月のソロイベントのような形になる。
念願の地元岩手での公演。WUGとして最初で最後の岩手公演。これまでのメンバープロデュースパートを考えれば何をやっても許されるし何をやっても良い思い出になったと思う。奥野さんのプロデュースということで戦々恐々としている人もいた。そんなワグナーの全ての想像を越えて、奥野香耶はやるべき事を為した。
思い出の場所
イーハトーヴシンガーズの皆さんと、この故郷の歌を。
そして「言の葉 青葉」という切り札をここで切る。これからの道のり(7カ所20公演)を考えるとまだ早いように思えた。けれどこのカードに迷いなく手を伸ばせるのは奥野香耶に他なく、場に出すならこの会場こそ相応しい。
WUGとして最初で最後の岩手公演。このたった一度きりのチャンスで大好きな岩手を感じて貰えるように。この日のことを忘れられないものにする為に。どうするべきか。ここで最高の思い出をつくればいい。
みんなで合唱をしよう。
いままでも観客を巻き込み一緒にステージを作り上げてきた奥野さんらしいやり方だ。言の葉 青葉のオチサビ、奥野さん以外のメンバーはステージを降り客席通路へ。演者もファンも境なく一緒にうたう。
2018年12月9日 盛岡 岩手県民会館
この日この場所で、Wake Up,Girls!とワグナーとイーハトーヴシンガーズで言の葉 青葉を合唱した。参加した誰もが忘れられない思い出ができた。
take me home
もうWUGとして、あるいはWUGを見にこの地に立つことはないだろう。でも思い出の場所を巡りに、あの時の足跡を辿りにくることがあってもいいんじゃないか。
盛岡駅で新幹線を降り改札口へ。売店で福田パンを買い東口に出る。地下通路を通り開運橋へと歩いていく。北上川のせせらぎと、川上には岩手山。帰ってきた、と思えるだろう。そこから県民会館に向かってもいいし、銀行前で別れた女性のことを思い出して泣いてもいい。そういえばあの日貰ったキーホルダーにも日付が書かれている。
東京駅から4駅だ。なんとかなるだろう。いつか帰ってこよう。
愛に時間を
解散発表後、奇跡的に復活したラジオとニコ生も年内いっぱいで終わることが告知された。今まで蓋をしていたWUGは近いうちに解散するという事実。モラトリアムは終わる。
会社でお仕事がんばっぺの面接で奥野さんは言いづらい事を進んで言うタイプだと自己アピールしていた。今回、彼女はしっかりその役割を果たした。
岩手がWUGとしては最初で最後であること、もう終わりの時が近づいていること。我々が向き合わなければいけない事実と優しく(そして容赦なく)向き合わせてくれた。
始まるパレード/paradeが生まれる
話が大きく変わるが、アニサマでWUGを初めて見たドリフェスの民がわざわざ岩手までやってきてくれていた。
それだけでなくフラワースタンドまで出してくれていた。WUGとドリフェスは似ていたりいなかったりする。コンセプト、境遇、時期、規模、人数、公演数、ステージング。まぁ気になったら調べるか誰かに聴いて欲しい。きっと語りたい人がたくさんいる。とにかくドリフェスのファンがアニサマをきっかけにWUGに興味を持ってくれた。ライブに来て楽しんでくれた。それが嬉しかった。
いろいろな偶然が重なってひとつの繋がりができた。ここからワグナーがドリフェスのアニメを見たりライブBDを見るにまで至るかどうかは分からない。それでもワグナーのスマホの中にはドリフェスのオタクから贈られた花の写真が残っていて、それだけでもいいかなと思う。
アニサマ終了後ワグナーがドリフェスの民を囲い込みにいかなければ、武道館に花を出していなければ、違う結果だったかもしれない。ほんの少しのきっかけで世界が変わる。つながっていく。そういうものを大事にしていきたいと改めて思う。
言の葉の樹
これからのWUGはワグナー次第なのかもしれない。
ずっとそんな感じの事をぼんやりと考えていたのが、盛岡公演を経て輪郭がはっきりしてきた。
宮沢賢治は生前から大人気の作家ではなかった。けれど彼の作品を信じた家族や友人達の尽力でその言葉が、生き様が、いまでも世界に息づいている。
WUGが解散してもそれぞれの物語は続く。演者にも、そしてファンにも物語がある。どこの作品から来てどこへ行くのか。何を見て、何を語るのか。何を為すのか。
遠野の民話のように我々が語り継ぐこと、あるいはWUGを受けて次につないでいくことが解散後のWUGの姿を象っていくのだと思う。解散は不可避で悲しいことではあるけれど、旅の終着点ではない。
伝えればいい。受け継げばいい。
これまでWUGが歩んできた道に間違いはないのだから。知られなかったという、ただそれだけなのだから。
そんなことを考えた盛岡旅行でした。
畢竟ここにはさとうなな二〇十八年十二月十日のその考があるのみである。