WUGとアニサマと消費される物語

さとうなな
3 min readAug 27, 2018

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これは別に誰かを責めているわけじゃなくて、どうしようもない事にどうしようもないよなぁと思っているという話なのですが、そのどうしようもない事がとても悔しいのでメモ程度に書き残しておきたいと思います。

最後の姿

またWUGとアニサマの話になるんですが、あの場にいた3万人の観客の中にWUGのFCに入ったり単独ツアーに参加してる人って多く見積もっても4桁はいないと思うんですよね。たった数百人。それ以外の人にとってあのアニサマでのWUGが最後に見たWUGになる。なんなら最初で最後のWUGかもしれない。

その人達にとってのWUGの物語は僕が見てきたWUGの物語とはきっと全然違うモノで。きっとPolarisを聴いたのも初めてという人が多くて、劇中歌としてどう使われたとか、どうやって作られたのかを知らなくて。それでも解散がステージ上で語られて、その文脈から歌詞を汲み取ってくれた人は多いだろうし、泣いた、良かったという声も多くてそれはとてもよかったのかなと思います。

文脈

ただその感情の動きはアニサマでのラストパフォーマンスであるという情報とあの演出ありきのもので、そういう文脈なしにフラットに聴いたらはたして刺さったのかなぁと思ったり。何事もそれぞれの人生の文脈ありきで受け止めるしかないわけで、そう出逢ってしまったのだからそう聴く以外ないだろうがとは思うのですが。

でもWUGが「あんまり売れないものの地味に活動してたらしいけど今度解散するらしい」くらいの理解度でアニサマに来た人に「よく知らなかったけど最後に見たWUGのパフォーマンスは感動的で良かったゾ」くらいの記憶として残されてそれでおしまい、それがその人にとってのWUGのすべてだと思うといやいやいやそうじゃないんだまだ幕を下ろさないでくれ何にも終わっちゃいないしWUGの持つ物語はそれだけじゃないんだ!と食ってかかりたくなるんですよね。

事情

とはいえ自分もWUGがクレイジーなスケジュールのツアーを組んだせいで他のコンテンツに手を出す余裕が全然ないので興味があって追いたくても追えないとか、解散が決まってるユニットに今更手を出すのも…とかそれぞれが抱える事情があるのだから仕方がないことだとは思います。

それをいいから来いと無理矢理引っ張ってくるのも違うし、あとキャパが少なくてFC内でも奪い合いになっている会場については頼む来ないでという気持ちなので。partⅢ仙台は本当に。どうするんだアレ。

分かったつもりにはなりたくない

ええとそれで結局なにが言いたいかというと自分の好きなものが断片的な情報で「コンパクトにまとまった綺麗な物語」として消費されるのは癪だなぁと思ったので、自分もそうやって他人の物語を概要だけなぞって分かったつもりになるのは気をつけたいなという話でした。

できる範囲で、無理のないように。

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